沈黙は金ではない
はじめに
この記事を読んでいる諸君は「沈黙は金、雄弁は銀」という言葉をご存じだろうか。
「沈黙することは多くを語る以上に価値がある」 という意味であり、「弁解や言い訳をするくらいなら、黙っていた方がましである」の意味合いで使われることもある。
寡黙や同調を美徳とする日本人らしい、なんとも奥ゆかしく詫び寂びに満ちた素晴らしい言葉である。(広めたのはイギリス人だが)
しかしこのことわざはチーム競技においては忌避し、唾棄すべきではないだろうか。
新興から中堅、果てはトップチームにも根深く巣食っているであろうこの呪いにも似たマインドを考察し、打開するきっかけや一助になることを願いこの記事を投稿する。
遅くなってしまったが、この記事は文句と勢いを5:5で混ぜ合わせてできている。記事と呼ぶのも烏滸がましいし、体裁も整っていないので読みにくいことこの上なく読みごたえも大してないがご容赦願いたい。
フィードバックなど、会話を主に複数人で行う作業では大抵の場合「よく話す人」と「あまり話さない人」の二極化が起こる。
これは”司会(リーダー)だからよく話す,,といったものではない。
語弊を恐れずに断言するのであれば
①「働き者」と「サボり」
②「暴君」と「イエスマン」
が発生するからだ。
①の働き者とサボりがなぜ発生するかについては2:6:2の法則とか働きアリの法則でググるなどしてほしい。なぜならこのパターンは単にやる気がないだけなので。
反省会中にスマホを触ってTikTokで女の子が踊り狂ってる動画をミュートで見るくらいならシージを今すぐアンインストールしてTikTokerでも目指せばいいのではないだろうか。
真に問題視すべきは②の暴君とイエスマンである。
これは暴言に委縮してしまい何も言えなくなることだけを指すのではない。必ずしもイエスマンは暴君を信奉しているわけではないのだ。
出た意見を否定しまくったり、メンバーの知識不足や言動をバカにするなど「こいつに何か言うとめんどくさくなる」「黙っておいた方が楽だ」と思わせる行為がイエスマンの発生に一役買ってしまう。
このパターンの厄介なところは第三者の介入が無ければ解決がほぼ見込めないことだろう。
暴君は自らを省みないのでこれに気付くことはない。委縮した者は問題を提起することなく限界が来た途端チームを変えるなどして消えてしまう。
どのチームでもこういった事例は起こり得る。だからこそ他人事で終わらせるのではなくチームの雰囲気には常に気を配り、質問や提案など発言しやすい環境を自分たちで整えていくことが大切である。
何が言いたかったのか
「勝つためにはまず何が必要か」と問う。するとどこのチームも『相互理解』と答える。
分かってはいるのだ。ただそれだけでは理解したとは言えない。
メンバーの癖や思考パターン、嗜好やその人個人の哲学などを知ろうとしよう。
生態系の頂点たるヒトの叡智の結晶である言葉で対話をしよう。
日本語が母語である5人でチームを組めることのアドバンテージを存分に発揮しよう。
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いかがだっただろうか。
PCがぶっ壊れて暇だったため書きなぐったものなので〆も構成も考えていないし、途中から語り口が中二臭くなってしまったが大体言いたいことは書き出せたのでシンザンはすっきりした。賛否問わず思うところがあればDMなどをもらえるととても嬉しい。
また何か思いついたら追記などをしようと思う。
それでは。